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月五日
連日の学習塾。明日を越えれば三日の休みがある。身体が疲れているためだろうか、私は三週間のちに迫った異国暮らしに後ろ向きである。けれども二月三月で綺麗な英語を身に附けることが出来たならば私の未来は少しばかり広がって行くに違いない。そうした理屈で以て私は感情をねじ伏せようとしている。候補はフィリピン、ダブリン、ベオグラードである。
 
月十一日
学習塾。試験本番まで八日。私の気持ちは日本に残ると云う案に大きく傾きつつある。二月に読書行脚を終え、三月に気に入ったものを読み返し、四月からは執筆に入ると云う算段である。調べて見るに宿の仕事が幾つかある。もしも今のように休むことが出来るならば私はお金を稼ぎながらに英語を学ぶことが出来る。夏は東欧で執筆を続ける。秋には執筆と宿の仕事。冬は再び旅に出る。そうして本が出来上がるまでこれを続ける訳である。なんと愉しみと希望に満ちた線路であることよ。
 
月二十三日
休日三日目。久しぶりに空を見る気がする。金を稼ぐために先生を演じる一日も、こうして家で転がっている一日も、神様は欠かさずに空を寄越して呉れるのだと当たり前のことを思う。読書及び英語。近頃私は四国の宿にいた頃を思い出すことがある。あれは二十九の頃で、私は五週間、山あいの小さな宿で居候をしていた。その家は八十年になる木造で、私より三つ上の宿主は隣の庭で朽ち果てようとしている納屋に手を加え、そこに住むべく苦心しているのであった。夜は宿主と私と客で炬燵を囲むのが常であったが、宿主は次の納屋には囲炉裏を設えるのだと云って毎夜飽きることなく囲炉裏の本を眺めていた。そうして気に入ったのがあると、これなど良いですねえと云って私にそれを見せるのだった。或る夜一人の客が来た。顎に髭をたくわえた四十ほどに見える男で、その日の客は男一人であった。夜も更け、宿主は納屋へと戻り、私は男と二人炬燵で茶を啜っていた。男はこの宿に来るのは二度目であると話した。前に来たのは三年ほど昔のことで、確か宿が始まって間もない頃、あの頃宿主さんは外に風呂を作ると云って石を組んでられました、それが今日来てみると風呂も出来てますでしょう、感慨深かったですよと云うのであった。風呂と云うのは野外にある釜風呂で、山水を入れ、藁を燃やし、薪を数本くべた上で頃合いを見て入るのである。私は男に聴いた話と、毎夜囲炉裏の本を眺めている宿主とを思い並べ、一事を思い続けていれば事は成るのだと云うことを沁み沁み考えたのだった。近頃この宿のことを再び思い出したのは、私も宿主に負けないほどに異国のことを考えているではないかと気が附いたためである。私は五年前では想像も附かないほどに異国のことを考えている。
 
月二十七日
相変わらず学校を探している。シドニーに発音を直す学校があり無理をすれば五週間通うことが出来ると云う訳で一度は消えたオーストラリアが再び手の内にある。明日はバンクーバーとダブリンを調べ直さねばならない。学校が決まらないために今週のうちに日本を発つことは諦めることにした。これが戦国武将であれば私は戦の最中に何事も決められないで首を取られているだろう。深更読書行脚四百冊目読了。
 
月二十八日
学校を調べる。幾つかの道は消えシドニーへ行くか否かと云った処である。飛行機も宿も高いのでこれから算盤を弾かねばならない。しかしロシアやロンドンのときと同じように無理を押してでも行きたいと云う気持ちもあるのでシドニーが今回の正解のような気もする。
 
月三日
学習塾。六歳になる子供たちの入塾試験を見る。今宵ついに四年に及んだ読書行脚を終えた。四百冊を越え更に数冊手を伸ばしたけれども読む必要を認めなかったために綺麗に四百冊で終わりと云うことになった。その殆んどは何も憶えていないけれどもゲーテの旅行記を読んだのちに自然と文章が変わったように私のなかの何処か深い処に何かしらの痕跡が刻まれている筈である。四年で四百冊の読書行脚。もう一度遣れと云われても出来ないがあのときは他に道がなかったためにこうして進んだのである。今は言葉に結晶しないけれども私はこの修行のような四年の間に何かを得たような気もする。
 
月六日
現在三十時。詰まり翌朝の六時である。冬の最中であるので窓の外は暗い。夜更かしをしてシドニー行きの切符を取った。ロンドンと同じく二箇月近く向こうにいることになる。一体どんな町だろう。私の日課に英文を少しだけ読むと云うのがあるけれども今日は学校の誓約書を読まねばならなかったのでそれで良しと云うことにした。学課が始まる四週間前までに申し込みを取り消したときは授業料の七割が返還されるなどと云う全く面白味のない文章の羅列である。しかし一つ曖昧であった文法を学ぶことが出来た。
 
月十三日
二十九時。出発前日。暦の上では当日である。荷造りを終えこれより四時間ほど眠る。先程インドにいた頃の日記を少し読み返した。案外良く書けた処があったので今は幸せである。私が心を乱すのは社会の多くの人たちとは違った生き方をしているためで、しかし物を書く人間としては何も違っていないのである。私は較べる処を誤っている。これから生きようとする処と較べねばならない。
 
月十五日
飛行機にて九時間。明け方飛行機のなかより素晴らしい朝焼けと信じられないほどに大きな星を一つ見る。あの異様に大きな星はあとから思うに宇宙に漂う基地ではなかったかと思う。午後海辺、劇場、植物園を居眠りを混ぜながら歩く。学校の近くに見附けた宿は柔道部の部室のように耐え難い薫りがする。この週末は柔道部を辞めるための二日間となる。
 
月十八日
英語学校初日。八時半より五時間の授業。のち荷物を引いて新しい住居へと移る。案内されたのは集合住宅の十四階で男部屋、女部屋、そして居間がある。買い出しより戻ると唄声が聴こえる。ニューヨークから来たと云う赤い髪の娘さんは、私が何かを訊ねる度に流れている曲に合わせ、まるで場末の哀しい歌い手のように即興の唄で返すのだった。彼女の背には大きな月とシドニーの摩天楼。今朝まで部室にいた私は、これは夢かと思った。芸術家の気質と敏感な感受性を持つ彼女は首のうしろに傷を持つ。八年前に三階の窓から飛び降りたのよと彼女は唄う。夢はあるかと訊ねると、馬鹿を装いながらみんなを幸せにすることよ、とこれまでに聴いたことのない哀しく洒落た答えをかすれた声で唄うのだった。彼女を一言で云い表すのは難しい。英語ならばセクシーと云うことになろう。
 
月二日
蚤の市。のち公園にて昼寝。少しばかり復習。高校生たちがラグビーをしている。一人だけ小太りの背の低い男がいて球拾いばかりしているので何故あの男はこの活動を辞めないのだろうと不憫に思っていたが近くへ行って見るに彼は先生なのだった。偉そうに指導していた。夜、年に一度開かれると云う同性愛者の祭りへ行く。何万人と云う人たちが大通りを練り歩き、何十万と云う人たちが物見のために繰り出す。学校教師、消防隊員、海兵隊員と云った人たちも歩く。とりわけ第一団の行進は忘れられない。彼らは音楽をかけて踊り狂うこともなく仮装することもなくただただ普通の格好で時に裸に近い格好で自動二輪にまたがり静かに進んで行くのである。彼らの顔には誇り、解放、悦び、そして私には到底窺い知ることの出来ない感情が広がる。私たちは歓声と握りこぶしと拍手でもって彼らを迎える。警備をしている警官の一人がもっと爆音を出せと仕草でもって煽り立てる。私は思いも寄らずこの光景に涙を抑えた。物見のなかにも行進する者のなかにも涙を抑える者がいた。この美しい光景は私に何かしらの影響を与え続ける筈である。
 
月五日
学校。昼休みの食堂。韓国と日本の男の子が深刻な顔で話している。彼らの話柄は数箇月のちに畑へ働きに出るか工場へ働きに出るかである。韓国の男の子が云う。もし畑へ行けば俺たちは確実に腰を痛める、それに畑は昼間は相当暑くなる、かと云って工場へ行けば気温は零度、俺たちは間違いなく身体を壊すだろう、詰まり道は二つ、無茶苦茶に暑い処で働くか、無茶苦茶に寒い処で働くかだ。日本の男の子がむううと頷く。韓国の男の子が続ける。俺は寒いほうが良いと思う、何故なら服を着ることが出来るから。私はこの哲学的にも聴こえる幼稚園児がするような会話をけたけたと笑いながら聴く。彼らにとっては笑い事ではない。授業を知らせる鐘が鳴る。彼らは悩みを抱えたまま教室へと向かう。
 
月九日
午後蚤の市。のち犬の競争を見に行く。犬の競争は少し小さな競馬場と云った処を八匹の犬が駆けて行く。私は彼らの名前も素性も物語も知らないので、ただ元気に走るなと云った印象である。月曜日の試験は上司の愚痴の暗唱なので私は常にジェイムスの悪口を云いながら歩いている。
 
月十日
午後蚤の市。古書のなかに一冊私の目を引いた装丁があった。森だか林だか公園だかを二人の小さな女の子が歩いているのである。色は全体に緑色を帯びている。私は近い将来纏める積もりでいる日記を散歩道と名附けてはどうだろうかと考えた。若しくは夢でも良い。深刻な顔をしていたためか店の主人が一体君は何を見ているのかと訊ねる。
 
月十五日
暫く日記が空いているのは学校と復習だけで日日が終わるためである。今日は試験明けの週末と云う訳でのんびりと過ごしている。この数日で記憶に遺る断片二つ。一。数日前より集合住宅に備わる自動昇降機が動かない。そのために動いている一台は酷い混雑振りである。昨日の朝私は十四階で昇降機に乗った。十六階より降りて来たそれには三人が乗っていた。十三階で扉が開く。一人乗る。十二階。一人乗る。十一階を遣り過ごして十階。一人乗る。成程そう云うことですか。九階で再び止まる。私はにやにやとし始める。七階。再び止まる。六階、五階、そして三階で扉が開き、掃除夫が諦め顔で五つほどの大きな荷物に埋もれて坐っているのを見てまるで風船が割れたようにみなが笑ったのだった。シドニーの集合住宅の一角に台詞のない喜劇映画のような空間があったものである。二。二週間ほど前よりコロンビアから来た姉妹が私たちの家にいる。彼女たちは一から十を英語で習っている具合で殆んど英語は話さない。今日自動昇降機で妹さんと二人になった。何処に行くのと訊ねると彼女は鞄のなかを掻き回すばかりなので言葉が通じなかったのだろうと思っていると、くしゃくしゃになった食料品店の領収書を広げて、ここと指差した。そして私は彼女が初めて英語を話すのを聴いた。私飴が好きなの。
 
月二十三日
英会話倶楽部掛けるの二。印象に遺った断片三つ。一。チリから来たと云う男が祖父に教わったと云う格言だか箴言だかを話して呉れた。曰く、男は本を書き、木を植え、子供を作るべきだと云うものである。二。その男はチリに太陽発電の会社を持っており私に太陽発電の素晴らしさを熱く語るのであった。私は新興会社で投資の話を聴いているような気になった。男は熱く語るためか頻りと首を動かす癖があり、私は焦点が定まらず、まるで残像と話をしているようで妙に草臥れた。三。二つ目の倶楽部が引けたのち白髪のお爺ちゃんが声を掛けて来た。彼は生粋のオーストラリア人であって酒を御馳走して呉れ二時間ほど話をした。何と素晴らしい夜だろう、これだから君、行動を起こさねばならないのだよと思っていたが最後に彼は男色だと判った。
 
四月十日
飛行機にて十時間。夜大阪に着く。今は二箇月振りで自分の蒲団のなかにいる。昨日の日記では省いたけれども未だに心に遺っているのでここに記して置こうと思う。昨日は二十四時辺りから宿の食堂で日記を書いたり転た寝をして過ごした。大きな食堂に人気がなくなった頃、欧州風のお婆ちゃんがひたひたと遣って来た。ひたひたと云うのは彼女は裸足のままに歩いて来たためである。何やらぶつぶつと呟いているので、何を探してるんですかと訊ねると、何を探してるかって、何も探してやしないけど、ここは一体何処かしらと云う。家族の人たちは何処にいるんですかと訊くと、家族ではないけれど私を知っている人は沢山いるわと云う。下に受附がありますから其処へ行けば何か判りますよと云うと、其処へ行けば私のことを知っている人がいるのねと云って、ふうと息を附いた。二人で階段を降りて行く。お婆ちゃんは、一、二、三、四、と階段を数えながらゆっくりと降りるのだった。踊り場で一息附き、この先ですよと促すと、一、二、三、あ、さっきが七だったから、十一、十二、十三、と呟きながらに受附を目指した。お婆ちゃんにとっては階段の数が重要であるらしい。深更三時のことである。
 
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