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一月十八日
本当にこんなことをしていて良いのだろうかと云う葛藤を乗り越え、ポルトガル行きの切符を買う。こうした心の動きは遺しておかねばならない。そうでないと忘れて仕舞う。毎回切符を買うときに葛藤を伴うのは、その一歩が勇気であるのか我が儘であるのか判らないからである。六十日の積もりが安い切符を探した結果自然と六十五日となった。東京、ドーハ、マドリードを経ての往復。何処かで大西洋に浮かぶマデイラ諸島へ流れるも良し、余った五日をマドリードに費やすのも良いだろう。深更追記。今日葛藤を乗り越えたのは、この人生を日記を書くため丈の人生、日記を遺すため丈の人生と考えたからである。
 
一月三十一日
八時鳥の囀りと路面電車の動く音で目が覚める。朝食。のち散策と読書。坂道の多いこの町の敷石は長年踏まれ続けたために丸みを帯びている。宿の裏には展望台。更に当てもなく歩く。リスボンがじわじわと体のなかへ染みて行く。夕刻帰宿。夜鰯の雑炊。帰宿前に立ち寄った食料品店は中東風の若夫婦が営んでおり、主人の膝に坐った嫁が旦那の頬を撫で続けているあれは夢かと思うような風変わりな店であった。
 
二月一日
リスボン三日目。下町を歩く。太陽は暖かいけれども日陰は肌寒い。暖かい気候をもとめて南の町或いは大西洋に浮かぶ島へと移ろうかとも考える。朽ちた珈琲店に入る。薄暗い店のなかに小さな卓子が三つ。そのうちの二つにベレー帽のお爺さんが一人ずつ坐を占める。奥の空いた席に坐る。一人のお爺さんは新聞を読んでいる。一人は何もしていない。けれども口は動いている。何を食べているのだろう。入れ歯が落ちるのだろうか。二人の卓子に食べるものは何もない。時折馴染みの者が遣って来ては立ち飲みをして去って行く。店の主人は三十許りで愛想はない。けれども何も食べないお爺さんを二つの卓子に坐らせているのだから良い男に違いない。私はこの時間が止まったような店で本を読むことにする。昨日より読むのは民俗学の本で、かつての日本にはこのような知恵があったと云った類いのものである。新聞を読んでいたお爺さんが声を出す。お爺さんと思っていたのはお婆さんであった。そして二人は夫婦であった。暫くしてお爺さんが食べ物を頼む。一体にこの夫婦は何時からここに坐るのだろう。否、一体何年前よりこの席に坐るのだろう。果たして私に三番目に坐る資格があったろうかと考える。本を読み終え店を出る。下町を歩きながら私は太陽でも浴びているように微笑んでいることに気附く。
 
二月三日
蚤の市。のち読書。今日は三冊を手にしたけれども全て読まないことにした。今読んでいるものは五十年ほど昔のもので、それらの殆んどが消えて仕舞うことを思えば何もおかしなことはない。思えばロンドンで大英博物館に通い詰めたのは良いことであった。古代のものが如何に力強く近代のものがそうでないかをあの空間は教えて呉れる。
 
二月五日
午後美術学校であるかも知れない図書館へ行く。通うほどに学校であるように思う。部屋を覗けば画板があり若者が絵を描いている。未だ本は見掛けない。二日後隣町へ移ることを決める。そこからは南へ下る積もりでいる。アフリカへも渡って見たいと思うけれども財布との相談である。本日より読むのは一つの道を髪が白くなるまで歩み続けると云う意味合いの本である。
 
二月七日
午後列車で四十分、小さな町へと移る。二つ目の町は山のなかに城塞と宮殿がある静かな町である。駅の前には図書館がある。私は図書館と云う文字丈は読めるようになった。読書、散策、洗濯を経て帰宿。今宵の宿では天井が斜めに切ってある屋根裏のような部屋に寝床が六つ並んでいる。イタリアの男が、ぼくたちは家族か兄弟のようだねと笑う。ドイツのお母さん、イタリアのお父さん、チェコの妹。ポルトガルの伯父さんは端で眠る。イタリアのお父さんは南仏ニースに住んでいる。ニースは北にあるけれどもここより暖かいと云う。友人の宿であれば安く泊まれるだろうと云う。もしも食べるものがなければぼくが食べさせようと云う。南仏ニース。思いも寄らない扉が開く。
 
二月十日
九時の列車で南へ南へと向かう。列車に揺られること四時間、南端の町ファロに着く。太陽は暖かく風は柔らかで人びとは安穏として客引きも居なければ大麻売りも居ない。嘘のように穏やかな一口に云えば呼吸の深くなる町である。少し町を歩く。ロンドンの公園には栗鼠が居たけれどもここでは孔雀を見掛ける。図書館を経て帰宿。六人部屋をブラジルの青年と二人で遣う。彼は二年間ダブリンで英語を学び、今はこの国の海沿いを自転車で走っている。バルセロナを目指すと云う。夜寝床で寒そうにしていると、そこに毛布があるよと云う。六人部屋で毛布が六枚だから一人一枚だろうと云うと、隣の部屋にいる男は三枚遣っているよと云うので、三枚と思わず吹き出し、それならばと私は二枚目を遣う。
 
二月十一日
散策と読書。この町は恐ろしいほどに安穏と静寂に包まれている。じつは何かが狂っているのではないかと思われるほどである。けれども日が沈むにつれて何とも云えない寂しさが町に広がり始める。ウラジオストクにしてもこの町にしてもそれは国の端であって、やはり端と云うものには何かが宿るのだろうか。少なくとも私にとって端は面白い。夜手帖を眺める。今私の前には四つの道がある。一、この町に留まる。二、スペインに流れ北へマドリードを目指す。三、スペインよりアフリカへ渡りマラケシュを目指す。四、ニースへ渡る。である。旅も人生も出逢いが鍵を握るとすればニースへ渡るのが良いようにも思う。しかし心が固まる迄には幾日かを要する。今宿の談話室には大きな分岐点の写真が壁二面に貼られている。詰まりは道が四つある。まるで何かが私に対して問い掛けているようである。
 
二月十四日
朝ブラジルの青年が宿を出る。彼はこの自転車の旅を終えるとブラジルへ帰国する。大学の教授と云う口もあるのだそうである。けれども欧州で世界が拓けたと云う彼は直ぐにでも国を出たいと考えている。野宿の道具を積み込む彼に次の町を訊ねると東だよと答えた。私は二つ目の町に忘れた物があるので今暫くこの町に留まらねばならない。夜毛布を三枚遣うブラジルの男が、もしサンパウロかダブリンに来ることがあればぼくの家は君の家だと話した。昼の内にはアフリカに心を決めていたけれどもこうした言葉を聴くと人との出逢いに流されるべきではないか、詰まりニースへ行くべきではないかなどと考えて仕舞う。
 
二月十五日
屋上。届け物を待ちながら本を読む。内田百閧フ向こうには雲ひとつない蒼空。そして何処ぞの娘さんが洗濯物を干している。心の襞を捉える内田百閧ノは似つかわしくないけれどもこんな処で読んだのだと云う想い出にはなるだろう。待ち物が届かないので諦めて下着を洗う。
 
二月十七日
六時起床。八時の乗合い。四時間でセビリアに着く。スペイン第四の町は色気を帯びている。しかしそれはマドリードのそれとは違い、暗さと重みのない晴れやかな色気である。週末の為だろうか多くの人が酒を飲み人生を愉しんでいる。子供たちが道で球蹴り遊びをしている。小さな子供が転んだ為に泣き始める。試合は中断され子供たちが集まる。でっぷりとしたお腹を持つ少し愚鈍そうにも見える男の子が顔を覗き込み何やら声を掛けている。やがて彼は大きなお腹で泣きじゃくる子を抱き締めた。子供は本当に愛らしい。椅子に坐る私の横では小さな女の子が乳母車を揺らす。私は玉蹴り遊びを見ながら乳母車のなかでは彼女の弟なり妹なりが眠るのだろうと考えた。やがて玉蹴り遊びのなかから男の子が駆けて来る。彼が乳母車から抱え上げたのは弟でもなく妹でもなく子犬なのだった。男の子は子犬の首に紐を附け、もう一端を自転車に附け、少し彼には大き過ぎるようにも思われる自転車に跨り勢いよく走り出す。子犬がずるずると引き摺られて行く。女の子が血相を変え恐らくは少年の名前なのであろうスペイン語を叫びながら慌てて駆けて行く。
 
二月十九日
朝宿の屋上。ミヒャエル・エンデ『モモ』を読む。屋上からは大聖堂そしてこの町の象徴とも云える塔が目の前に見える。イスラムの薫りがする美しい塔である。私は幾つもの町を流れて来ているけれど本当は一つ処で本を読んでいて色色な町の景色が私のまわりを流れているような気持ちになることがある。午後大聖堂の陰にて読書。鳩が一羽飛んで来る。ぼくに何か用があるんじゃないですかと鳩が云う。何もないよと答える。そうですかと云った風で鳩はちょこちょこと歩く。不意に丸くなった石段に足を取られ羽をばたばたとばたつかせ何とかその場に留まった。足を滑らせる鳩と云うものを初めて見た。服屋と本屋を経て帰宿。やはり本屋で働く人は本屋の顔をしている。
 
二月二十二日
九時半の乗合い。隣にフランスからの娘さんが坐る。彼女が話して呉れたのはフランスにはパリのほかにも素敵な街が沢山あるのよと云うことと、ゾラをお読みなさいと云うことである。十三時最南端の町に着く。簡素な港町。二十四日目にして漸く異国に来たと云う気がする。人の良さそうな人たちが通りすがりに挨拶をする。波止場では水色と藍色の恐ろしく綺麗な海に釣り糸を垂れる人がいる。沖にはアフリカが見える。アフリカ。昨日まで塔を見ていた私の目がアフリカを見ている。私の目は驚いているに違いない。次から次に新たな景色が現れる。夕刻図書館にて読書。窓から鳥の囀りが洩れて来る小さな図書館である。
 
二月二十四日
乗合いにて一時間英領ジブラルタルへと足を延ばす。途中までスイスの若者と横を向いて話していたため直ぐに車に酔う。国境を歩いて渡る。滑走路を越えると岩と云う名の附いた大きな岩山が見える。麓に小さな町がある。城に鍵と云うお伽噺に出て来るような旗を持つこの町では人の顔も言葉も薫りも全てが英国染みている。二時間ほどを掛けて岩山を登る。頂きからは果てしのない地中海。足下を覗けば切り立った岩壁。麓に道が一本走り数えるほどに家がある。絶え間なく届く波の音。目の前に浮かぶ海鳥たちの鳴き声。強く吹き附ける風の音。この大きな海と岩壁に挟まれた孤島のような岬にも人は住んでいる。私はどうやら人間の寂しさに惹かれるようである。二十二時帰宿。今宵も謝肉祭。
 
二月二十五日
朝荷造りを済ませ台所で朝を食べる。宿の男が欧州の娘さんに今日は何をするのかと訊ねる。計画は何もないわと娘さん。私はどきりとする。すると娘さんは計画がないのが私の計画なのと続けた。嗚呼云って仕舞われた。私は静かに紅茶を啜る。夕刻船にて一時間、モロッコの港町タンジェへと渡る。迷宮のような道を宿を探して歩く。魔法遣いのような法衣に杖を曳いたお爺さんが現れ、そなたはメディナに居るのじゃと云って去って行く。メディナとは迷宮のような旧市街のことである。私は半ば泣きながら何とか宿に辿り着いた。夜買出しへと出掛けあっさりと道を失う。二時間ほど彷徨う。何とか手に入れたのは米と卵二箇である。
 
三月六日
九時の飛行機。うとうとと眠るうちニースに着く。飛行機で荷物を幾つも抱えたお婆ちゃんを見掛ける。荷物を二つ持って遣る。恐らくは子供か孫が出迎えに来ているだろう。身体の小さなお婆ちゃんは前のめりになりながら空港のなかをすたすたと歩く。荷物を持ってあとを追う。お婆ちゃんが空港を出る。ほほうと思いあとを追う。乗合いを指差して、これからあれに乗るのと云う。附いて行きますよと身振り。九十何番の乗合いに乗る。人混みのなか不図財布がないのに気附く。こんな誰が見ても良いことをしている人間から財布を盗る者がいるのか。愕然とする。フランスの娘さんが、これはあなたのではないのと千切れた鎖の附いた財布を持って来る。助かりました有難う。乗合いは走る。フランスを感じる暇もない。揺られること二十分。更に歩くこと五分。お婆ちゃんの家に着く。共同住宅の地下にある物置きのような部屋がお婆ちゃんの家である。一人で暮らしているらしい。入口に錠前はなく厠の水は流れない。床には玉葱が二つ。何処で料理をするのだろう。ヨーグルトとチーズを一箇食べなさいと出して呉れる。旅券はモロッコのもので八十五歳と書いてある。お婆ちゃんは寝床に坐りフランス語だかアラビア語だかで一時間ほど話をする。一語たりとも判らない。やがて疲れたお婆ちゃんはおもむろに横になった。毛布を掛けて遣り部屋を出る。さてここは何処だろう。太陽と海をたよりに暫く歩く。電話屋の娘さんに道を訊ねる。彼女は二十分ほどの道のりを地図ではなく文章で、この先に公園があってそこを曲がると三分先に何何と云う料理屋がと紙に書いて呉れるのだった。夜二つ目の町で出逢ったイタリアの男が町を案内して呉れる。日が落ちたあとの海沿いの景色。それはまるで夢のなかに居るようで言葉には表せない。
 
三月十二日
九時出立。空港にて読書。昨日より読むのは日本人作家による夢日記である。生まれた許りの赤子が山は高いと呟く夢が可笑しかった。夕刻ローマに着く。私はこの町に憧れも思い入れもなく遣って来たけれども何より空気の柔らかいのに驚いた。夜アメリカ、スウェーデン、韓国からの旅人に誘われパスタを食べに行く。重いフォークを遣わせる立派な店である。
 
三月十四日
午後バチカンへと出向く。大聖堂の丸屋根に沿った狭く歪んだ階段を上へ上へと昇る。私は聖堂に入った刹那少し身体が奮えたけれども、それは造形や規模によるのではなく、こここそがカトリックの総本山なのだと云う自らの観念によって奮えたような気もする。夕刻ブロッコリーを花束のように持ちながらローマの町を歩く。昨日より日本人の若者が同宿している。彼はダブリンで英語を学び日本へ帰る処である。面白い話を聴いた。或る日彼は郊外を歩いていた。すると家鴨だか鵞鳥だか知らないけれど大きな鳥が鳴くのを聴いた。彼は思った。なんとこの鳴き声はバイオリンと似たことだろう、これまで鳥の鳴き声がバイオリンに似ているなどとは考えたこともなかった、否、そうではない、バイオリンと云うものがそもそも鳥を真似るように作られたのではなかろうか。面白い話である。
 
三月二十一日
十時の列車。居眠りと田園風景を眺めること三時間、昼過ぎナポリに着く。ゲーテが愛したナポリは生活の薫りがぷんぷんとする掴み処のない町である。路地が恐ろしく暗い。良い聖堂が一つある。帰路喫茶店へ入る。店の閉まる時刻を訊くと八と六だと云う。二十時半まで本を読む。のち帰宿。深更アフリカの男がピザを取った。彼は自分には大きいからと半分ほどを振る舞っていたけれども丁度それが売り切れたとき部屋に流れていた音楽が終局を迎えたと云って面白がって笑った。大袈裟な音楽でじゃかじゃんと売り切れた。私も笑った。
 
三月二十三日
日帰りでポンペイへ行く。遺跡を見るために赴いたけれども一つの町が遺跡として遺っているのであって結果としては新たな町に流れ着いた二日目のように大いに歩いた。深更カナダ、ポーランド、ブラジルの男たちが明日火山と遺跡とを両方見て廻るならば何時に起きねばならないかと早く寝れば良いものを一時間も話しているのを笑いながらに聴く。
 
三月二十五日
この宿では朝と夜にパスタが給される。そのため野菜と果物が不足しているのか少し疲れ気味である。今朝この宿に一箇月住み込んでいる男に身体はどうもないのかと訊くと、パスタ計りが続くので時折ピザを食べに出ると云うので一坐の者は笑った。午後町へ出る。厠を探しながら屁を捻ろうとしたところ何かにゅるりとしたものを感じた為に慌てて引き返す。こんなことは初めてである。宿まで四十分。にゅるりとしたものを感じながら林檎を買う。何かの神に縋りながら宿に辿り着く。部屋の仲間が元気かいと訊ねる。漏らしたから帰って来たと云えばどんなに驚くだろうと思いながら、日曜日で図書館は閉まっていたよなどと適当なことを云う。風呂。ふて寝。のち洗濯。本日考えたのは、どんなに詰まらない一日であってもにゅるりとしたものを漏らさないと云う丈でそれは素晴らしい一日であると云うこと。そして誰もがにゅるりとしたものを抱えているにも拘わらず漏れ出ることがないと云うことを鑑みると人間の機能も大したものだと云うことである。
 
四月一日
マドリード。早朝二段寝床の下に寝ている恋人同士がもぞもぞとし始めた為慌てて湯を浴びに行く。さっぱりとして部屋へ戻ると未だにもぞもぞしていた。談話室で紅茶を啜る。何故朝は落ち着きながらも静かに気持ちが高ぶるのかと考えた。然るに朝とはその一日の幼年期であって可能性の塊なのである。今日と云う一日を有効に遣おうとばたばたと出て行く人たちをのんびりと眺める。やがて宿には安穏が訪れる。私はこの時間が好きである。午後路地裏に洒落た本屋を見附ける。フランスの青年が営んでいてルーミーの英訳本などがある。
 
四月四日
夕刻の飛行機で涎を垂らしながら眠ること七時間深更中東の空港に着く。更に飛行機を乗り継ぎ東京へと向かう機中である。二箇月の旅でくたくたになっているので日記を書く力もない。隣には中東の男。彼の腕は椅子の内にあるけれども腕の毛がふぁさふぁさと私を撫で続ける。遠い昔あれは民法の講座であったか、隣の庭から伸びて来た枝の柿は誰のものかと云う話柄があった。何とか権と云うのであった。
 
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