上井とまと日記 > 一頁目
日記 やねうら われおかき 生放送 筆主
 
上  井  と  ま  と  日  記
 
 
ネパール日記抄
ロシア日記抄
一月三十日
湖のほとりで読書。かつてチベットから逃れて来たと云う飾り物売りのお婆さん、それから大麻の仲買いをしている男が遣って来る。本を読んでいるとロシアでもネパールでも変わった奴がいると面白がって呉れる。チベットのお婆さんが、南へ行けば景色も良いし物も安いよと教えて呉れる。宿のまわりは湖側、その南は堰側と呼ばれていて、堰側は地域の人が暮らしている。アンナプルナは北にあるので南へ行くほど遮るものがなく雄雄しい姿を見ることが出来る。野良牛を幾つか見る。紙や草を食べると云う。堰側で安食堂と八百屋を見附ける。安い処を探すのは吝嗇のためではなく地域の人と同じ暮らしをするため、そして誠実な人と附き合うためである。夜喫茶店にて読書。読書欄に久方振りに丸を附ける。
 
二月二日
カトマンズでの三日を経てポカラの五日目。湖へ本を読みに行く。途上店の主人たちがチェスをしているのを見る。遣るかと誘われたけれども二日前に動かし方を憶えた処だよと云う。五人ほどが盤を囲む。指している一人が、そこに立つと店が見えないじゃないか、俺は客が来るのをここから見ているのだと知人に云う。戦いが進むにつれて取り囲む輪は小さくなる。輪の一人が、客が来たよと知らせる。男は面倒そうに席を立つ。最早男たちのなかでお金にしても仕事にしてもチェスより勝るものはない。そろそろ行くよと云うと、お前はこのあと俺と遣るのだ、本ならここで読めばいいじゃないかと一人が云う。道端に坐りチェスの裏で本を読む。暫くして盤に坐る。私は二日前に憶えた、強い駒を中央へ進めること、王を城へ入れることを意識しながら動かす。図らずも優勢となる。お前は良い指し手だ、二日前とは思えないと云うので、チェスは日本の将棋と似ているからねと答える。気附けば向こうはネパール人が三人で、ここは駄目だ、こいつが居ると話しながら指している。こちら側にも一人ネパール人が附く。私は時折顔を上げる。私はネパールの道端でチェスを指している。目の前にはチェス盤がありネパールの男たちがああだこうだと云っている。多くの旅人が通り過ぎる。時折覗きに来るのもある。いま私の前には新しい景色が開けている。私は貧民窟の薫りに触れた翌日アンナプルナを目の前にしたあの感覚に囚われる。これは現実だろうか。これも意思の力だろうか。私には判らない。私は中盤女王を不意に失い点数の差で負けた。のち湖、安食堂、喫茶店にて読書。深更チェスの勉強。私は序盤の優勢を保ちながら敵の力を切り崩す術を学ばねばならない。人生のチェスは如何に。
 
二月四日
ポカラ七日目。連日何かしらが読書の時間を奪う。二日前は舟で釣りをしている男がこっちへ来いと云うので舟で二時間を過ごした。今日は土産物屋の男が、玉蜀黍で作った酒を呑ませて遣ると云う訳で路地裏の店へ附いて行く。私が附いて行く気になったのは男が面白い話をするからで、例えば、人生には良いことも悪いことも起きる、しかし悪いことが起きても気にすることはない、そこから学びを得れば私たちは賢くなるし、賢くなれば悪いことも起きないようになるだろう、詰まり良いことも悪いことも受け入れれば良いのだと云ったことや、私はこの前友人と釣りをした、舟を借りて湖で一日を過ごした、けれども釣れたのは小指の先ほどの魚が二匹だった、詰まり五百ルピーも払ってこんなに小さな魚を二匹得たのだ、私と友人はそれを炙って食べた、五百ルピーは仕事をすればいつでも稼ぐことが出来る、しかし市場で魚を買えばこの経験と想い出は私たちには遺らないと云ったような話である。路地裏の店で二時間を過ごす。男は卓子の上で大麻と煙草を混ぜ合わせながら丁寧にそれを包んで行く。男はインドで生まれ育ったそうである。今は丁度閑散期で時間は沢山あると云う。偶然にも宿で働く従業員が店のなかへ遣って来る。隣の席で仲間たちに、あの日本人はうちの宿にいるのだ、部屋にはこんなにも本が積まれてあるのだと話している。酔いが醒めたのち喫茶店にて『アンナ・カレーニナ』を読む。技巧も高みに至れば美しくなることをこの作品は教えて呉れる。
 
二月六日
九日目。曇り。山の眺望を諦めまだ歩かない北へと向かう。午後二日前のインドの男に出逢う。湖側の北と南に店を持っていると云う。湖より離れた町へと連れて行って貰う。乗合いに揺られること二十分。そこは人びとの暮らし丈がある生きた町である。模様のような文字。判らない言葉を話す人びと。もしも一人であったならば私は更に強い解放を感じたに違いない。私はそこに未だ見知らぬインドを見る。安食堂にて軽食。紅茶を頼むと白い顎鬚を生やしたお爺さんが紅茶を入れて持って来る。私は愛想良く、有難う御座いますと紅茶を受け取る。私が愛想良く振舞うのはそれが度度面白いことへと繋がって行くからである。お爺さんは、若造が、わしは騙されやせんと云った風で眉の一つも動かない。それが又私を快くする。読書を経て帰宿。中国の男の子が明日宿を出る。私も宿を出る。
 
二月八日
十一日目。庭先にて読書。大きな黒い犬が足もとに来る。この国では何故か犬に懐かれる。郵便夫が遣って来る。居眠りをしていた犬は首をそちらへ持ち上げ再び眠らんとして頭を石にぶつける。頭蓋骨がこんと響く音を聴く。午後湖へ出る。湖まで十分ほど歩く。緑の山の頂きはグライダアを吐き出す。道端には茣蓙を敷いた果物売り。気だるそうなお婆さんは売り物の葡萄の粒を食べながら売っている。登山具店の主人とチェスを二番。ロシアでもネパールでも痛い手を打たれた私がそうかと呟くと皆がそうかを真似する。堰側にある小さな吊り橋を渡り湖の対岸へ出る。森のなかを彷徨い景色の良い場処を見附ける。これで明日からは山を眺めながら本を読むことが出来る。日が沈むころ森を出る。学校帰りの子供たちが旅の人だ旅の人だと離れた処で囁く。こんにちはと恥ずかしそうに英語を遣う者もある。私は子供たちが英語が通じなかったと肩を落とすことのないように、そして彼らが更に勉強するように、こんにちは、日本からだよ、四十日だよと少し許り大袈裟な笑顔でもって答える。
 
二月十日
十三日目。私は夜の寒さから逃れるために町を変え、それを叶えた私は旅人と話すために宿を変え、それもほぼ叶えた私は山を眺めながら本を読むためにこの数日を費やした。こうした動きは蔓が光を求める、或いは、蚯蚓が日陰を求める動きと何ら変わることがない。仮に本を読むと云う足枷がなかったならば国を変えてインドへ流れたことだろう。午後渡し舟の船頭に出逢う。三十を過ぎた誠実な男である。明日は朝から彼の家でカレーを招ばれ、郊外へ出向くことになる。
 
二月十六日
十九日目。曇天。湖の南を目指す。ここでこれまでに見た些末な事事を記して見ようと思う。一。ヒンズーを信じる人は額に朱い印を附ける。しかし数日前に見たのは額に握りこぶし程もある朱い印を附けた白い犬であった。これは災厄から身を守る結界である。二。この国ではロシアと同様、有料の厠がある。日本ならば大と小で表す処を、ロング十ルピー、ショート五ルピーと時間の長さで計る処は面白い違いである。詰まり鬼神の如き速さで大を為せば五ルピーで済む訳である。三。時折人の背丈の二倍ほどもある絨毯を首に担ぐ者がある。私は彼らのことを運び屋と考えていた。ところが彼らは家家を廻り絨毯を売るのである。絨毯はいらんかね。なんと絶望的な仕事であろう。四。私が一つ前の宿で見たのは、玄関の外、門口の処に新聞が置かれている景色であった。恐らくは郵便受けが無いために下に置いているのである。そして今日私が見たのは新聞配りの青年が右手で自転車を駆りながら左手で新聞を門口に投げ棄てている、否、それは投げ散らかしていると云っても良い景色であった。そしてその景色は思いのほか痛快である。湖の南及び対岸の頂きで本を読む。見晴らしのよい丘に安宿があると聴いた私はそこへ宿を移そうかと考えている。
 
二月十七日
二十日目。朝宿の近くで婚礼の宴に混じる。十五分ほど舞を踊る。昼湖で中国の娘さんと出逢う。明日丘にある宿へ二人して移ることになる。これで天気に恵まれれば私はこれから二週間山を眺めて暮らすことになる。夜再び娘さんと落ち合う。夜、異国の喫茶店、本を読むでもなく娘さんが通りかかるのを待つ時間。私にとっては珍しい色気のある景色である。
 
二月十九日
七時日の出。のち仮眠。午後丘の頂きを目指す。車ならば十五分の処を私たちは四時間近く重い荷物を運んだ。なだらかな坂道で元気を得た彼女が、さあ私を捕まえて、早く早くとけしかける。私は彼女を追いながら、あと残り三日ほどで終わりを迎える恋人ごっこを、そして彼女の純真な心を、私は遠い将来臨終の間際に思い出すのではないかと云う考えが私を捉えた。夕刻頂きに宿を得る。
 
二月二十二日
朝。美しい朝。十一時彼女を乗合い処へ連れて行く。違った場処から動き出した乗合いを慌てて引き止め、私は彼女をそれに乗せる。今生の別れであるかも知れないにも拘わらずこの国の乗合いは余りにも呆気なく彼女を連れ去った。午後堰側の移民局にて査証の延長手続き。のち溜まった日記に手を附ける。私は町を歩きながら或いは宿の部屋のなかで彼女の口癖や鼻唄や中国語での彼女の名前を意味もなく声に出す。私はほんの六日前まで一人で遣っていたのである。三日或いは五日もすれば元へと戻るに違いない。今宵は彼女の薫りが遺る大きな寝床を避けまだ遣わない小さな寝床で眠ることにする。
 
二月二十七日
連日六時前起床。頂上まで五分。標高が高い為か息が切れる。展望台の脇にある静かな場処へ行く。アイルランドの女の子が一人附いて来る。薄曇り。八時お金を替える為に町へ降りる。乗合いにて一時間。序でに大きな襟巻きと果物を仕入れる。二組の旅人と再会する。うち一組はいつだか同宿したドイツからの姉妹で、あなたが本を出したときの為に名前を教えてよと云う訳で連絡先を交換した。私が悦んだのは何年かのち日記を編み直す折に、この綺麗な心を持った姉妹のことを思い出すに違いないからである。夕刻乗合いを三つ乗り継ぎ丘へと戻る。二つ目の乗合いはこの車に何人乗ることが出来るかを競うような有様で、私は全ての身体を外へと出したままに町を駆け抜けた。三十ルピーを渡すと十ルピーが返ってきたのは、乗合いに乗っていたのが右足の先丈であったからかも知れない。本日よりロシア人宣教師の日記を読む。
 
三月四日
五時起床。七合目展望台。山は日によって主役が代わる。ラムジュンヒマールの斜面が滝のように見えることもあれば、アンナプルナ第四峰のぎざぎざとした稜線が一際目を惹くこともある。今朝はヒムチュリの白が美しい。明日丘を降りることに決めた私は幾人かに声をかけ最後の景色を見て廻る。人間は他愛もない景色に特別な意味を結び附け悦んだり哀しんだりすると云ったのはショウペンハウエルである。異国暮らしが終わりに近附くと私はこれを思い出す。夕刻山を眺めていると馴染みの犬が傍らへ来て一時間ほど眠った。こんなことは初めてである。けれどもこれもありふれた景色であるに違いない。夜食堂の若夫婦が九人家族の家でカレーをご馳走して呉れる。本日より読み始めたのはエドワード・ウィンパー『アルプス登攀記』である。
 
三月五日
五時起床。見事な朝焼け。七合目展望台へ急ぐ。丘での最終日。空は澄み渡り霧も靄もないこれ以上望むべくもない眺望を得る。雅であり神神しいアンナプルナ南峰。暴力的な雪の塊であるラムジュンヒマール。そしてこれまで気に留めなかったアンナプルナ第三峰。私は瞬きするのも惜しんで山山を眺めた。午後町へ降りる。私はこの日記に日日の断片しか書かない。十日ほど前、私は丘でスイスの男に出逢った。彼は顔や腕や身体全てに仏教にまつわる刺青をしており、案内人も附けずにアンナプルナの中腹まで登るのだと話した。私が彼を面白いと感じたのは、彼は常に眠いから眠る、食べたいから食べると云う、こう書いて仕舞うと刹那的に聴こえるけれども決してそうではなく、自分の感覚に忠実に、そして常に幸せそうに生きている為であった。丘を降りた私は彼を思い出し、疲れたから眠るのだと独りごちて宿で暫し眠った。やがて元気になった私は町へと繰り出し、或る宿の入口で、たった今四千メートルから降りて来た処だと云うスイスの男と出会した。彼は七日間の雪山行について、零下十五度と突風の世界はスイスの山とは違うこと、夜は呼吸が出来ず何度も目が醒めること、連日食べ過ぎるほどに食べ、六時間から八時間を歩き、ひたすらに眠ると云う単調な繰り返しであること、もう一度遣れと云われれば遣り度くはないが全てが素晴らしい経験だったと云うことを幸せそうに話した。私が将来山へと登ることがあればその起点はここである。昨日。私は丘にある茶店で本を読んでいた。暫くするとロシア風の男が遣って来た。美しい顔を持つ彼は、お金が好きな茶店の主人に気圧されながらも友人と穏やかに話を始めた。私は本を読みながら、彼は人の心を見る人ではないか、そして彼と私は似た処があるのではないかと考えた。勿論こんな些細なことは日記には書かない。今日。スイスの男と話を終えると宿の中から一人の男が出て来た。男は私をちらと見た。茶店の男であった。男はベラルーシから来ていて私の睨んだ通り人の心を見る人である。昨日は何も話さないけれども互いに何かを感じていたと云うのは面白いことである。この町ではこうした出逢いがよく起こる。夕刻突風と小雨。詰まり明日は今日にも増して素晴らしい眺望が得られることを意味する。
 
三月六日
五時起床。車を雇い、歩けば一時間はかかる湖の南へ行く。私が見附けた処は官庁の庭であり門は固く閉ざされている。けれども裏道を知っている私は廻り道をして何かしらの門を二つくぐり林のなかへと歩いて行く。君は何処へ行くのだと男が訊ねる。今日は山が綺麗ですね、ぼく幸せですと間の抜けた答えをすると男は笑顔を返した。湖からの眺望。それは私が長い間探し求めた景色である。私は町より山山を眺める為に、町のなかを歩き続け、晴れ間を待ち、一度は諦め丘へと登り、再び降りて来たのである。黄金色に輝く南峰、赤く染まるマチャプチャレ、この二日大きく見える第三峰。私は唇を噛み締める。そして意味を成さない声を出す。十時スイスの男と朝を食べる。午後挨拶廻りと読書。寝床で一日を振り返るうちに眠って仕舞った。
 
 
 
 
上井とまと (うわい・とまと)
日記を綴ること十六年。数年前より本を読む日日を送る。時折異国の町に暮らす。
 
上井とまと日記
これまでに書いた日記の殆んどは伏せている。読書行脚を終えたのちに編み直す積もりでいる。
 
やねうら
客人との閑談を、ラジオ局の電波を遣い、夜更けにひっそりと流す。
 
われおかき同好会
友人との雑談を、煎餅工場で売られる不揃いな煎餅のように、気まぐれに配信する。
 
ラヂオ生放送
地元のラヂオ局でへらへらと相槌を打つこと百余回。四時間の生放送で二年ほど助手を務める。
出演104回目 出演最終回 8分
出演95回目  練乳 6分
出演91回目  スーパームーン 5分
 
 
上井とまと日記 > 一頁目
日記 やねうら われおかき 生放送 筆主