上井紙縒日記 > 一頁目
過去日記 異国日記 ラヂオ やねうら われおかき 紙縒
 
 
上  井  紙  縒  日  記
 
 
中東欧日記抄
シドニー日記抄
南インド日記抄
地中海日記抄
ロンドン日記抄
ネパール日記抄
ロシア日記抄
八月十九日
出発六日前。ワルシャワ行きの切符を取る。最後まで悩んだのはリガとキエフである。今回は四十五日を彼の地に暮らすことになる。原稿の整理と一冊目へ向けて構想を練ることがこの滞在での仕事である。穏やかで意味のある時間を重ねることが出来れば何も云うことはない。
 
八月二十六日
十一時ワルシャワの宿に着く。荷物を降ろしたのち暗くなるまで町を歩く。とりたて何もない道で市井の人びとを眺めるのは愉しいものである。私は愉しくなる道とそうでない道とを選り分けながら歩く。絵を商う店へ入るとお婆ちゃんとその孫が双六遊びをしていた。お婆ちゃん、三だからここだよ。ああ、ここかい。今宵の宿にはアメリカを出て二年近く旅をしている初老の男がいる。彼もよく旅先では墓地へ足を運ぶと云う。
 
八月二十七日
ワルシャワ二日目。昨日とは全く別な方角へ国会図書館へ行く。四時間ほど推敲。図書館やとりわけ図書館の食堂と云った処は普通の暮らしに溶けるのに良い場所である。夜中央駅にある喫茶店で更に作業を進める。二十時、恐らくはポーランド語なのであろう耳慣れない言葉が駅より流れてきた刹那、私は見知らぬ異国で一人作品を編んでいることに気附き、何だか涙の出るような気がした。
 
八月二十九日
二つ目の宿は王宮へと続く大きな道の裏にある。旅人が行き交い彼らを相手に商いをする人間の多いこの地域は私にとって鬼門と云っても良い。目当ての図書館が遣えないと判った今この地域にいる理由は何一つないが宿には穏やかな空気が流れているので暫く留まる積もりでいる。八人部屋にはアレキサンドリアから来たと云うエジプトの男がいる。彼はこの町のケバブ屋で働いていて長らく宿に住んでいる。彼が云うには数箇月前日本の若者がここに来たのだそうである。その若者は朝から晩まで宿にいて時には八人部屋で時には居間でいつ見掛けても日記を書いていたと云う。そんなに書き続けていたら、今ぼくは日記を書いているって云う日記になるねと話すと、あれはたぶん彼の日記じゃなくてぼくの日記を書いていたんだと思うよ、今エジプトの男がトイレに行った、帰ってきた、黄色い服に着替えた、仕事に出掛けたってね、あ、そうだ、ぼく彼がトイレに行ったときに日記を写真に撮ったんだよ、君、日本語が読めるんだろう、何が書いてあるか教えてよと云って写真を数枚出して来た。その若者の日記には彼がキエフから遣って来たこと、次の行き先を決めかねていること、或る娘さんに恋心を抱いていること、鉄道切符の値段、飲み水の値段、それから宿にいるエジプト人に外の空気を吸うよう勧められたことなどが書かれてあった。ぼくも日記を書くのだよと話すと、じゃあ君の日記を写真に撮って次の日本人を待たなければいけないねと彼は笑った。午後喫茶店にて推敲。顔を上げると玉ねぎ頭の教会が見える。
 
八月三十一日
川向かいの下町を歩く。道にごみが散っている。時折何やら臭う。壁に落書き。犬が頻りと吠える。団地の窓からは恐らくは麦酒であろう缶を開ける音がする。詰まりは生活の薫りがあると云う訳でこうした処を歩くとき私の胸は高鳴る。何だかよく判らないが警報機がよく鳴る。この二日色んな道を歩いた結果、私はこの町を離れることに決めた。夜キエフ行きの切符を取る。次の町にも旅人がいて彼らを相手に商いをする人間がいることには違いはないが東へロシアへと向かう程に町に薫りが残っていて呉れることを願う。
 
九月二日
七時宿を出る。そこから地下鉄、乗合い、飛行機、乗合いに揺られ十七時キエフの中央駅に着く。更にそこより九十分重い荷物を引いて宿を目指す。この国の通貨フリブナは四を掛けるとおよそ日本の通貨となるが私は余りに疲れているため、この先五十メートルに食堂などと云う言葉にも四を掛ける始末である。
 
九月三日
キエフ二日目。町を歩く。トルコ料理の店に入る。頻りと水を運んだりなどしているので仕込みの最中かと思っていると新たに店を始めるための開店準備なのだった。冷蔵庫を動かして品書きを見せて呉れた。肉汁とご飯を頼む。定食を指差して、これのご飯だけなら幾らかと訊ねると、男は厨房へ行き、ご飯だけなら幾らかと訊いてるよ、定食は幾らだ、五十だよ、じゃあ十五でいいだろうと話し始めた。ご飯の値段は十五フリブナに決まった。今日は面白い絵を二つ見掛けた。一。駅の傍らにある宝石店にはゴッホの複製が置いてある。カフェテラスや糸杉と云ったそれらの絵には処処で絵の具に代わり黄色や茶色の宝石が貼り附けられているのである。二。或る教会のまわりには路上で絵を商う者が集っている。それらの絵の幾つかは一体どのようにして作るのかは判らないが画板が樹皮で出来ており時折樹皮の盛り上がった処などがそのまま顔を出すのである。
 
九月七日
今日は何もしていない。昼前に起きた。大衆食堂でご飯を食べた。お金を両替した。広場で向日葵の種をかじった。夜劇場へピアノを聴きに行く。日本人のピアノ弾きで年齢は知らなかったが八十六であると云う。彼女は介添人二人に手を引かれ覚束ない足取りでピアノの前に坐る。髪は束ねられず、薄い外套を羽織っている。そしてまるで子供が与えられた玩具で遊ぶように或いは魔女が実験室で薬を調合するように鍵盤を叩く。ラカンパネラの独奏。音楽のことは何も判らないけれども、私は彼女が六十になるまで人知れず欧州に貧しく暮らしていたこと、人生の全てを音楽に捧げて来たこと、そしてその彼女がいま子供のように魔女のように鍵盤を叩いていることを思うと、涙が溢れ出し、止まらなくなった。神聖な美しい瞬間と云うものは言葉などに置き換えるべきではないのかも知れない。しかし私は試みる。人の心を動かすのは人の魂である。芸術家とはお金を追うのではなく全てを自分が信ずるものに捧げる人のことであり、故にその存在が力強く、美しく、そして気高いのである。素晴らしいものを見た。
 
九月十日
まだ歩かない町の東へ修道院を訪れる。その傍らには洞窟があり奥へ奥へと進んで行くと恐らくはかつての修道士たちであろう遺体が幾つも眠っている。私たちはその暗闇を小さな蝋燭を頼りに歩く。時折見張りの修道士が椅子に腰掛けているけれども或る修道士は開いた本に蝋燭立てを縛り附け暗闇で本を読んでいた。私はあのような読書をこれまでに見たことがない。
 
九月十一日
キエフ十日目。宿より西へ鉄道駅舎のまわりを歩く。訪れたことはないけれども何処か中東の町にいるような景色である。大きな道の先には無機質に大きな駅がありそのまわりの露店では詰まらないものを売っている。傭い車の運転手はただぼんやりとしている。昨日から宿にいるイスタンブルの男の子はお酒を飲みすぎてお金がないよと云って殆んどの時間宿にいる。彼はポーランドに近い町より流れて来たのだそうである。その町はここよりも小さく穏やかだと云う訳で私はワルシャワへ向けて戻り始めようかとも考えている。
 
九月十二日
二十三時。私はいま寝台列車に揺られ西へ西へと運ばれている。二人部屋のような形で隣には六十近くになろうかと云うウクライナのお母さんが寝ている。私たちは共通した言葉を持たないけれども先程身振りと手振りでもってお互いが良き同乗者であることを確認し合った処である。今日は夕刻教会の裏へ油絵を買いに出掛けたけれども早くに店を閉めたものか目当ての露商はいなかった。旅が教えて呉れる幾つかのことの一つは二度目はないと云うことである。夜十一日を過ごした宿を出た。最後に私はシドニーでもそうしたように六階の軒先へ出て、この景色を眺めることはこの人生では二度とないのだとキエフの町を眺めた。それは少し寂しくもあり何処か心地好くもある。旅には小さな別れが幾つもありそれは少し大きく云えば死の体験とも似ている。そうすると私たちの心のなかには死を哀しむのは勿論のこと何処か死を愛する処もあるのかも知れないと景色を見ながら考えた。列車は速さを増して行く。二日のちには満ちる月が窓を通して光を寄越す。お母さんが毛布を掛けた。私も毛布を引っ掛けて目をつむることにしよう。
 
九月十三日
五時。お母さんが目を覚ましたので私も目を開けた。窓の外は原野と森と林、そしてその上には大きなオリオン座が見えた。六時リヴィウに着く。朽ちそうな建物に朽ちそうな路面電車がきいきいと音を立てながら走る素朴な町である。宿で休んだのち町を歩く。路地裏でお婆さんが壁に寄り掛かりながら物乞いをしている。私は暫く歩いたのち二十フリブナを手に引き返した。お婆さんはか細い震えるような声で何かを云った。私はお婆さんが手にしていた何も入っていないくしゃくしゃになった紙コップを思いながら考えた。心が動いた人にお金を渡し損ねることに比べれば気に入った絵を買い損ねることなど大した問題ではなかろう。
 
九月十四日
リヴィウ二日目。同じ宿にいる韓国の男の子が町を案内して呉れる。彼は二年この町にいてウクライナ語を話す。将来は外交官になるかも知れないと云う。彼が案内して呉れたのは透明な天使が描かれた教会、暗号を唱えると扉を開けて呉れる地下食堂、そして小鳥の囀る喫茶店であった。夜再び魔女のピアノを聴きに行く。芸術家とは芸術に取り憑かれた者のことであり、芸術に取り憑かれるには純粋でなければならない。そこに計算や打算や何かしら余計なものを混ぜて仕舞った者には真の芸術を成すことは出来ない。
 
九月十五日
朝宿を変える。人と逢う予定がなくなったので一人で町を歩く。市庁舎の時計台からは玩具のような町と日曜日を愉しむ小さな人びとが見える。公園で気に入った絵を三つ見附けたので一つを買うことにする。太った中年の男が池のほとりで魚釣りをしている鄙びたものである。店の女に幾らかと訊ねると、この絵かい、これはあの爺さんが描いたんだよ、ほれ、爺さん幾らだい、と草臥れたお爺さんを連れて来た。果たして部屋に合うかしらと暫く絵を眺めていると先の仲介女が、ほら、こうすればもっと良くなるよと云って濡れた雑巾でごしごしとこすり始めたので私は慌ててそれを止めねばならないのだった。画家はバハン爺さんと云う。
 
九月十七日
リヴィウ五日目。町外れにある墓地へ行く。ここは変わった墓が幾つもあると云う訳で入場料を取る。宗教と云うものは人の救いともなり得るが、人がこの世界について自由に想いを馳せる際には妨げともなり得る。夜食料品店で惣菜を買う。店のおばさんが真剣な顔で何やら云う。言葉は全く判らないが、あんたこれ今日のうちに食べるんだよ、明日になったらお腹壊すからねと云っているらしいことは判ったので私はかくかくかくと首を動かした。
 
九月十九日
七日目。教会。のち公園へ二つ目の絵を買いに行く。数日秋らしい日が続いたかと思えば昨日は冬のようだった。冷たい風が地面に並べられた絵をぱたぱたと倒して行く。店の女たちは面倒そうに絵を起こし木の棒で支える。少し工夫を加えれば何とかなりそうなものをとも思うけれども案外暇な日常のなかでは意味のある仕事であるのかも知れない。現在二十六時。私たちの乗合いは西へ国境を越えクラクフを目指している。
 
九月二十日
朝四時クラクフの駅に着く。喫茶店で体をあたためる。隣の席では紅茶を前にしたお爺さんが居眠りをしている。昼間は道で施しを受けているのであろうお爺さんは何か物音がする度にびくんと目を覚ます。そして頻りに顔を掻く。どうかお爺さんが少しでも長く体を休めることが出来ますように。宿で暫らく眠ったのち町を歩く。寒くなって来たためか思った程の喧騒でない。気になる小さな絵が二つ。
 
九月二十二日
殆んど誰も乗らない列車に揺られること二時間オシフィエンチムの駅に着く。ドイツ語名アウシュヴィッツ。日曜日のためだろうか店は殆んど閉めている。恐ろしいほどに静かな田舎町である。道向こうの木立に母娘が見える。娘さんは大きな枝を木に向けて放り投げ母親は何やらせっせと集めている。余程に美味しい何かの木の実なのだろう。宿に荷物を置いたのち町を歩く。近くにはゆったりと流れる川があり、まわりの林はひんやりとした空気に包まれている。これまで旅をしてきた中でここが間違いなく飛び抜けて空気の澄んだ処である。今宵の宿は北京の娘さんと二人。彼女は小児科医で今はストックホルムに学んでいる。これもこの町に来たためだろうか、私が小さな町を好む理由、一つの町に長く留まりたい理由を話す必要のない人に出逢ったのはこれが初めてである。
 
九月二十四日
朝九時一体何処まで行けるのか判らないままに宿を出る。そこから列車と乗合いと列車を乗り継ぐこと八時間私はプラハに遣って来た。プラハは大きな町であって旅人も多いながらもその独特の気品を保っているように思われる。現在二十六時。宿の居間。エカテリンブルクから来たと云う全く英語を話さない若者がロシアでは全てを均等に分けるのだと云って麦酒やら豆やらをご馳走して呉れたので私はすっかり酔っている。どうやら私は良い波に乗ったようである。
 
九月二十六日
プラハ三日目。三区を歩く。駅の裏手を歩きながら何を見た訳でもないけれどもこんなことを考えた。本当の仕事と云うものは時間を掛けて為されるべきであって、自分が急いでいるとき、時間に追われているときは何かが違っているのだと気が附くべきときである。公園の近くで可愛らしい娘さんが道を訊ねに遣って来た。私は彼女を伴いながら何処から来たのと訊ねた。彼女は何かを答えたけれども知らない言葉であったので、ぼくは日本から来たんだけど何処から来たのと訊ねた。すると彼女はオクサナと云った。オクサナとは何だろう、ああ彼女の名前かと考えながら不図私は気が附いた。三つ前の町で私に絵を売って呉れた公園の女がオクサナと云うのであった。一体この名前がウクライナでどれほど多いのかは知らないが暗号が好きな私は考えるのである。私がオクサナと云う娘さんに道を訊ねられる確率は一体どれほどであろうか。エカテリンプルクが教えて呉れた料理店、丘、墓地を経て帰宿。
 
九月二十九日
日曜日。路面電車に乗り川を越えた七区へ出向く。終着駅で降りると子供を連れたお母さんが黄色い葉の幾つか附いた枝を持って歩いていたのでそれだけで私は幸せになった。公園の隅では風船を売っている。小さな女の子が風船を買いに来る。女の子が選んだのは黒い猫の風船で彼女はお札を一枚持って猫が膨らむのを待っている。店の女が大きくなった猫を抱えて、この紐を放しちゃ駄目よ、空に飛んで行くからねと女の子に云い聴かせる。女の子は頷く。心配な店の女は猫の紐を女の子の服の裾に結んで遣った。女の子は柿色のお札を渡すと駆け出して行こうとするので店の女は慌てて彼女を引き止めた。女の子が渡されたのは色とりどりのお札五六枚と硬貨数枚なのだった。女の子が駆けて行く。黒猫は幾度も幾度も道に叩き附けられながら女の子の後を追う。
 
十月一日
十区のち一区カフカ博物館。私はこの旅でまさかプラハに来ようなどとは夢にも思わなかったけれども私が抱える三十冊にカフカが二冊混じっていたので夕刻人の会話丈が聴こえる静かな喫茶店を見附けて変身を読んだ。明日からは城の近くで審判を読もうと愉しみにしていたけれどもこんなことがあるのだろうか金曜日からこの町の宿は全くもって空きがない。旅も人生も流れに乗って行くものだと云うことは判っている積もりでいるけれども私はこの町ならば二週間でも足りないと思っていたので今は胸が痛むのである。
 
十月二日
昨日私は名案を思い附いた。それは宿に置かれてある地図で本を包むと云うもので今朝私は川の曲がっている処が上手く前へと来るよう案配しながらカフカの二冊を包んだ。どうしてこれまで思い至らなかったのだろう。近頃私は宿の近くの料理店で優雅に朝を食べている。今日は贅沢に二品註文することにして豆の入った汁と兎の肉とを頼んだ。豆の入った汁は思いの外に大きくそれ丈で私は満腹になって仕舞い兎を食べ終える頃には私の腹ははち切れんばかりになった。そこで私は城まで路面電車で向かうのを止め歩いて行くことにした。城へと橋を渡っていると前を歩く男が地図を落とした。私はそれを拾って遣り男に声を掛けた。男はダラスからの旅人で城見物へ行くと云うので私たちは連れ立って城へと向かうことにした。城門のある広場に着くと男は朝から何も食べていないと云うので私たちは近くの料理店に入り男は何だかの肉を私は紅茶を啜りながら男の話を聴いていた。やがて男は酒もまわり眠いので帰ると云うので私は男を見送ったのち再び城へと返した。城に着いたのは夕刻で私たちは城を閉めますと云う訳で私はそのまますごすごと宿へと返したのだった。豆の入った汁を頼んでいなければ全く違った一日になっていたと云うことは大いにあり得ることである。
 
十月三日
プラハ十日目。洗濯。宿の引越し。新たに掠め取った地図七枚で本を包む。これらの仕事で昼を大きく過ぎた。プラハ城。のち五区を歩く。まだ歩かない道を行くと誰かが作った道があり誰かが作った建物がありそこでは人びとが暮らしを営んでいて私たちの目を愉しませて呉れると云うことは当たり前のようでありながら不思議なことである。
 
十月四日
道を歩いていると前を行く人が煙草を吸い始める。私は眉をひそめ歩く速さを緩める。長椅子を見附ける。私はそこに腰を下ろし煙りが薄れて行くのを待つ。不図空を見上げる。するとそこには思いの外に大きな葉が幾枚も茂っていたのに私は初めて気が附く。こうした形と似ているのか似ていないのか判らないが私はこの国第二の町ブルノへと遣って来た。プラハから優雅を八割ほど差し引いてそこに簡素を加えたものがブルノと云った具合である。今宵の宿にはロンドンより流れて来ているお爺さんがいる。十人部屋で枕を並べる私たちには幾つか共通点がある。一。私は緑茶を、お爺さんは紅茶を持ち歩いている。二。私は本を三十冊、お爺さんは背負い袋一つで動いているにも拘わらず本を十冊持っている。三。私はワルシャワで行き先の知らない路面電車に乗り宮殿へと運ばれたが、お爺さんはプラハでやはり行き先の知らない路面電車に乗り可愛い公園へと運ばれたのだそうである。共通していない処。お爺さんは紅茶のために小さな薬罐を持っている。
 
十月八日
乗合いに揺られること九時間早朝ワルシャワ西駅に着く。宿で暫らく眠ったのち夕刻町へ出る。今や欧州は何処の町も冬であって厳密にはこれから更に寒くなるのであろうけれども私たちは絶えることなく白い息を吐いている。路面電車の歩廊に立つ娘さんはまるでぜんまい仕掛けの人形のようにその場を行ったり来たりしながら暖を取っていた。余りに寒いため馴染みの食堂で塩辛い汁を飲んだ丈で宿へと引き返す。本日の最善手は町へなど出ず宿に籠っていると云う手であったろうけれども久し振りに来たワルシャワを見に行かないでいられる程に私は成熟していない。二十一時蒲団に入る。
 
十月九日
朝五時宿を出る。列車と飛行機にてヘルシンキ。そして今は上海へと向かう機中である。朝ヘルシンキへと向かう飛行機が地上を飛び立つ瞬間、私は何年前になるのか判らないがラジオの番組を作るために北海道へ向かったときのことを思い出した。あのときは飛行機に乗ると云うことがそれ丈でまるで大きな冒険のように感じられたのだった。何も遠くへ行くことが偉いことだなどとは思わないがしかし私は昔の感覚を超えて行くのが好きなのである。
 
中東欧日記抄
シドニー日記抄
南インド日記抄
地中海日記抄
ロンドン日記抄
ネパール日記抄
ロシア日記抄
 
 
上井 紙縒 (うわい・こより)
二十四歳より日記を綴る。時折異国の町に暮らす。
 
上井紙縒日記
現在は異国日記を配信中。
 
ラヂオ生放送
奈良のラヂオ局で相槌を打つこと百回。二年間助手を務める。
※ イヤホン推奨
# 91 スーパームーン 音源 5 分
# 68 書き初め 音源 6 分
# 52 夜食 音源 10 分
 
やねうら
客人を招いての閑談。全十四回をラヂオ局より放送。
※ イヤホン推奨
# 13-5 スイカと豆粒 音源 18 分
# 10-3 電化製品物語 音源 10 分
# 9-3 生きる哲学 音源 17 分
 
われおかき同好会
友人との雑談を気まぐれに配信。
※ イヤホン推奨
# 2-4 新潟の青い空 音源 12 分
# 1-7 進化 音源 5 分
 
 
 
上井紙縒日記 > 一頁目
過去日記 異国日記 ラヂオ やねうら われおかき 紙縒